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「LOHAS生活」

最近、「LOHAS(ロハス)」という言葉が女性誌の中で流行っているらしい。
皆さんはご存知だろうか。

その意味は、ストレスをためない生活、地球に優しい生活、というくらいのものしかない。Lifestyle of Health and Sustainability=持続可能な健康的生活、が原義。

地球に優しい生活、ということは、私にとってはケチケチ倹約生活、ということにつながっている。例えば、外出するとき、プラグを全部抜いて出て、待機電源OFF。これだけで月に約500円の電気代節約だ。世の中には、電気の無駄遣い削減。
ペットボトルも再利用。120mlペットボトルを飲みきったら、水筒代わりにして持参。これだけで、飲み物代が浮く。そしてゴミも削減。こんなことするくらいだったら買ったほうがいい、と言われることもあるが、慣れてくると中々楽しい。家にあるものはなるべくリサイクルしようとするので、あまりゴミもたまらない。
モノを何か買うときも、これを買ったらどのスペースに置くか、代替品はあるか(あれば、それは破棄。)、などと考えて買うので、結果として衝動買いを防ぐことにもつながった。

たくさんの洋服や本を買い、やたら飲み会に行き、お金を使う事それ自体に満足していたことがあった。お金を使ってストレスを発散する。しかし、根本的な解決になっていないため、余計にストレスがたまる結果となる。
逆に、少し立ち止まって、マイペースの倹約生活をしていると、何もしていないがストレスもそんなにたまらない。時間的余裕、体力的、金銭的に無理のない生活をしているからだ。

自分が本当に何を欲しているのか、内側の声に耳を傾けることも必要なのではないだろうか。がーっと突っ走るのは若いうちにしかできないけれど、たまには自分のために時間を使って、ゆったりと過ごしてみてはどうだろうか。
# by fri2005 | 2005-05-06 22:18 | その他いろいろ

東男と京女

 昔から東男と京女は相性が良いと言われている。東男というのは東京の男、つまり、クールで都会的な男性だ。一方、京女というのは関西系で明るいが京風のおしとやかな一面も持つ女性である。確かに、クールで知的、スマートな男性と一緒に歩く明るくて古風な女性は、想像しただけで絵になる。低いヴォイスの関東弁と優しい関西弁の組み合わせは、二人を幸せの絶頂に導く可能性が高い。

  一方、これを逆にしてみたらどうなるか。京男と東女という組み合わせだ。どこかヒョウキンで、保守的な男性。和服と漬け物をこよなく愛するナイスガイだ。一方、女性は颯爽としたスーツ姿に身をまとい、愛読書はTIMEだ。この二人がデートをすると女性は男性を頼りないと思うかも知れない。なにせ、女性の視点はグローバルだ。古き良き日本を大事にする男性の「こだわり」は、最初は楽しいかもしれないが、いずれ女性は男を捨てるだろう。なるほど、東男に京女という組み合わせは極めて理にかなっている。

 しかし、渋谷の街などを歩いていると、この法則もそろそろ古くなってきている感がある。もう、賢明な読者は気づいていると思うが、上記考察は、全て、女性が男性についていく、男性が女性を引っ張っていく、という暗黙の前提が存在する。男性は船頭として女性よりも高い視点、広い視野を持っていることが「うまくいく条件」なのである。この前提の限りに置いて、東男と京女は極めて相性の良い組み合わせになるだろう。 

 一方、渋谷を歩いていると、男性も女性もなくなっている気がする。男性は極めて女性的になっているし、女性も男性的になっている。典型的なメタファーは、TBCの宣伝だ。TBCの宣伝にはベッカム夫妻が登場するが、東男と京女という感じは全くしない。どちらも気が強そうで、美しさに対するこだわりは天下一品。二人で買い物に出かけたら、家具を選ぶときに喧嘩をしそうな勢いだ。(昔はインテリアは女性が決めていて、男性はクレジットカードを差し出すだけ、という感じだった)

 マーケティング的に言うと、性別という切り分けで物事を判断できなくなってきたと言えるかもしれない。むしろ、ライフスタイルという軸で男も女も一色単になってきた。だから、同じライフスタイル、価値観を共有しているのであれば相手が男性でも女性でもいいわけだ。女性しか持っていなかった美しさは今では男性も持っている。男性しか持っていなかった力強さだって、最近の女性は持っている。相手が男性である、または、女性である理由が無くなってきたとも言える。ホモやレズが生まれるメカニズムはこんなところからも説明できるのかもしれない。
# by fri2005 | 2005-05-03 12:59 | その他いろいろ

誇れる実績、ありますか?


みなさんには人に誇れる実績がありますか?

現在、僕は社会人2年目なのですが、ついこないだまで転職を考えてました。会社の人事の方針に納得できないことがあって、今の仕事のままでは、自分の能力の向上につながらないし、自分の市場価値を上げるような実績も上げられない。将来的に自分のやりたいような仕事にいけるかどうかわからないので、このままこの会社にいてもどんどん自分がダメになっていくのではないかと危惧しまして・・・。

ただ、実際問題、転職しようと冷静に思ったときにはじめて、自分には何もアピールするものがないことに気づいたんです。転職を考えるようになって初めて痛感したのですが、ビジネスマンは「実績が全て」です。いくらかっこいいことを言って「優秀さ」をアピールしてみても、いくら自分が仕事を順調にこなしていて会社の中で必要とされていても、それを証明するための「実績」がないと、他の会社の人は評価してくれません。

もちろん、これは当然のことで、逆にみなさんが会社の人事担当で、中途採用を任されることになったとしても、しっかり実績をあげているひとを採用しますよね?面接でポテンシャルを評価することは至難の業なので、それを裏付けるような確かな実績があれば安心して採用できるわけです。つまり、みなさんの市場価値を高めるためには「実績を積む」以外にないのです。

そういった意味で、僕は、新入社員としての1年間で、誇れるような実績を全く上げてきていなかったのです。いつの間にか会社の中で漫然と仕事をするようになっていて、「自分がどんな価値を上げているのか?」、「自分はどんな実績を積み重ねてきているのか?」という成果に対するコミットメントが全くなくなって仕事をしていることに気がつきました。

最終的には、もう1年、今の会社で今まで以上に自分からアクションをおこしていき、実績を上げることに決めました。そう思っていろいろやっていると、どんどん周りのことが見えてきて、今の仕事の中での自分の価値ややりたいことも見つかってきて、実績を積む可能性も見えてきました。今は、とても楽しく充実して仕事をしています。結局、結果オーライだったのですが(笑)、今回のことは非常に勉強になりました。「とにかく必死で実績を積むことを意識すること」今後はそれだけを常に意識して毎日を大切にしていきたいと思います。

なので、みなさんにも自分自身の市場価値を高めるためにも、今の仕事を楽しくやっていくためにも、常に自分の実績を意識してほしいのです。

もう一度聞きます。
みなさんには誇れる実績はありますか?
# by fri2005 | 2005-04-23 09:00 | 新卒君の悩み

「新聞は毎日欠かさず読みましょう!!」 


「ビジネスマンとして、新聞を毎日欠かさず読むのは当然のことである」
私の周りの人は良く言う。確かに、新聞から得られるものは多い。色んな情報に敏感になれるし、世界や経済のさまざまな現象、動きの中からさまざまなことを考え、自分なりの意見を持つことにも役立つ。

しかし、それは本当に毎日欠かさず読む価値のあるものなのか??
万人にとってその価値のあることなのか??

今回はあえて、「新聞を毎日読むこと」というのが、万人にとって是とは限らず、かつ、必ずしも毎日欠かさず読まなければならないものでもないのではないか?との問題提起をしてみたい。

新聞を読むことの意味は、「情報収集」と「考える力の向上」という2つの側面がある。「情報収集」については、その情報を何のために集めるのかによって、その集め方も変わってくる。単に、商談先の話のネタとして集めるのであれば、インターネットで毎日のトピックだけざっと目を通して、その中から面白そうなものだけ集中的に自分で調べて、そのトピックに関するさまざまな角度からの情報収集をすればいい。
また、自分なりの「考える力」を鍛えたいと考えているのであれば、それは必ずしも新聞である必要はない。本でもいいし、テレビでもいいし、はたまた、街に出てみて色んなものをみて、自分なりに考えてみることでも十分にその目的は達成される。

私は何も、「新聞を読むこと」を真っ向から否定しているのではない。私自身、毎日新聞には目を通しているし、新聞を読むのが好きだ。しかし、毎日通勤電車の中で新聞を広げて読んでいる人や、新聞の内容をこれ見よがしにさも自分の考えのようにふれ回っている人を見ると、「新聞を毎日読むこと」自体が目的化してしまっているのではないかと疑ってしまう。自分の中での、毎日新聞を読むことの意味を考えることなく、ただなんとなく、無作為に新聞を毎日3,40分もかけて読んでいるのだとしたら、それは時間の無駄とはいえないだろうか??

みなさんは、毎日新聞を読むことの自分の中での意味をきちんと説明でき、かつ、その時間を「新聞を読むこと」に使うよりも有意義で効果的だとはっきりと自信をもって主張することができるだろうか??
# by fri2005 | 2005-04-19 06:18 | その他いろいろ

中国反日デモを考える

中国で反日デモが巻き起こっている。日本領事館や日本料理に投石が繰り返され、上海で2万人が集まり、小泉さんの写真が焼かれるという過激なものだ。日本人留学生にも危害が加わっているようで、ただならぬ事態になっているようだ。

 メディアを通じてして感じるのは、日本側の報道は「警察は何もしない」ということを繰り返していた。まるで国家ぐるみで日本をやり玉にしているかのごとく、報道の仕方だった。確かにそういう側面もあるのかもしれないが、もう少しフェアな報道があってもよいなと思う。

 今日、芸能人があつまって反日デモに関して議論しあっている番組を見た。正直言って、ひどいものだ。中国人の大学の先生を一人よび、芸能人が総出で、その先生を攻撃するという内容だった。女性タレントは「せっかく私も旅行に行こうと思っていたのに、怖い国ね」とか、某文化人も一面的な映像を取り上げて「なにをにこにこ笑ってやがるんだ!」と怒鳴っている。その目には、何が原因で、どうすればよいのか、ということに対する意識はみじんもない。ただ、「中国人憎し」と、国家という枠組みで人を括ってしまい、日本人留学生などもすべてひとくくり。
 ちょっとした出来事が、個人の憎しみを増幅させ、大きな争いになっていく、という構造をかいま見た気がした。

 最近の中国は急速な経済発展から、経済格差が拡大し、国民の不満が募ってきていると言われている。そのやり玉に反日が使われているということらしい。多くの民をまとめるためには、共通の敵をつくることが手っ取り早いのだろう。しかし、破壊活動にまで発展した今回のデモは明らかにやりすぎだ。

 僕たちのレベルでは、ぜひ「流れや空気」に乗せられず、客観的な態度と「何が悪いのか」ということフェアに考える態度を失いたくない。中国と日本にバックり分けて、「どっちが悪くて、どっちが良い」などと安易に考えるのはあまりに浅はかと言えないだろうか。
 

 
# by fri2005 | 2005-04-17 12:27 | その他いろいろ